無情なるが如く
本当に久々の更新になりますが、あまりにも悲しく無情なことがあったため、何もやる気がしなくなり、全く更新が滞ってしまいました。
その悲しい出来事というのは、私の数少ない理解者であり、友人だった方の訃報です。しかも私が巡礼中の3月に亡くなっていたそうで、帰ってきてから共通の知人から教えてもらいました。まだまだこれからの人だったのに、あまりのショックに打ちのめされていました。
その方は京都の日吉大社で権宮司をされていた方で、職業神主がほとんどのこの日本では珍しく、本物の能力を持った本物の神主さんでした。
この方、Iさんとは今生3日くらいしかお会いしてお話したことしかないのですが、数奇な運命と縁によって1日でお互いがお互いのことを良く知る友人となることが出来ました。一般の方は不思議に思うかも知れませんが、Iさんと私は前世で非常に深い繋がりと人間関係があったため、今生あった瞬間にお互いがお互いを理解したのです。
初めてあったのが約20年前、私が諸国を巡礼していた時に日吉大社を訪れたときになります。私が日吉大社の東本宮を参拝していた時、たまたまそこに神主のIさんがいて、Iさんが私からただならぬものを感じて声をかけて下さったのです。日吉の神様が引き合わせてくれたのでしょう。
私も当時はスピリチュアルな世界はよく分からなかったので、自分の身に起きている不可思議な超常現象や能力の事など、色々と相談にのってもらい、神道に伝わる秘教的なことも色々教えてもらいました。
そういう稀で数少ない本物の能力者だっただけに、故人となってしまったのは非常に惜しまれます。本当に悲しいです。
これからの時代、Iさんの能力はたくさんの人々に必要とされ、たくさんの人々を救うことが出来たでしょうから。
私はJ R R トールキンの不朽の名作、指輪物語が大好きなのですが、その物語の中でガンダウルフが言う台詞が浮かんできて頭から離れません。
「人の生死を軽々しく扱ってはいけない。生きていて欲しい人が死んで、悪人やどうでもいい人達が生き延びる。人の生死や未来は常に揺れ動き、たとえ賢者でも読み解くことはでんのじゃ。彼らには彼らの役割があるのじゃろう」
これは彼の壮絶な戦争体験から来た言葉なのでしょう。
今の私にはこの言葉が本当に胸に響きます。
何故、Iさんのように今後本当に必要とされる人が死に、欲望や色欲の赴くままにやりたい放題やっている人達は生き残るのか?
世の中は何故、このような矛盾で不合理なことが起こるのか?神は何故このようなことをなさるのか?
もう悲しくて何もやる気にならないですが、残された私がIさんの意思を受け継ぎ、繋いでいかなければなりませんので、ぼちぼち頑張ろうと思います。
来週末、Iさんのお別れ会が日吉大社であるのでお別れに行ってきます。