光 希望 優しさ 愛

新時代に必要なものは優しさや愛 皆さんにそれを伝えていければと思っています。

誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた

 前回の輪廻三部作が難しかったので、今回は簡単な内容でいきたいと思います。書く内容はアニメの「Fate/stay night」です。主人公の衛宮士郎君と私の今までの生涯がかなり似ているのでご紹介します。個人的に好きな作品なのでというのもあります(ここからはネタバレ注意なので、これからアニメみる人は読まないでください)。

 

 Fate の主人公・衛宮士郎君の未来の姿がアーチャーなのですが、アーチャーは自分の理想と生涯と人類の醜さに絶望し、非常に冷めてニヒルな目をしています。ちょうど二ヶ月くらい前の私もそんな感じでした。世界に絶望し、人類に絶望し、何よりも無力な自分に絶望し、腐っていた頃の自分です。

 

 本編ではアーチャーは過去の自分の理想、信念と対峙することによって最後は目に輝きを取り戻しましたが、アーチャーのように私も一ヶ月前に自分の理想と信念を取り戻しました。悪がはびこり、地球が壊れそうになっているのにこのままでいいわけがなかったので、私は再び立ち上がったのです。

 

 ちなみに、今回の記事のタイトルはアーチャーのセリフです。

 過去の自分と対峙して、過去の自分に心情を吐露するシーンでのセリフです。「貴様の理想が俺を生んだ」とやり場のない怒りで自分を全否定するシーンなので、そんなアーチャーの姿がとても切なくて哀しいです。

 

 本編の主人公・衛宮士郎君の夢、理想、信念は正義の味方になることです。はっきり言って厨二病です。そして、同じような理想を抱いている私も厨二病です。

 

 士郎君の理想は養父である衛宮切嗣の理想を引き継いだものです。切嗣はみんなが笑顔で暮らせる世界の実現を目指して聖杯戦争に参加し、聖杯がそんな都合のいい願望をかなえることができないことを知って絶望し、聖杯戦争最後に救うことができた士郎君を養子にして、その夢は士郎君が引き継ぐことになりました。

 

 切嗣は最後に聖杯にビジョンを見せられて、100人を救うために50人を犠牲に、200人を救うために100人を犠牲に、500人を救うために200人を犠牲にしなければならない、と延々エグい選択を迫られて、精神が追い詰められていきましたが、この不完全な世界で正義をなすには、このようなエグい選択を延々迫られてしまうのです。そして、これが合理的思考力の限界ともいえます。

 

 その後、切嗣は心が折れてしまい、正義の味方になることをあきらめてしまいます。そこで「だったら俺がかわりに正義の味方になってやるよ」といって、切嗣の夢と理想を引き継いだのが士郎君でした。

 

 作中アーチャーが過去の自分である士郎君に言い放つ言葉で、私の立場や境遇が士郎君とよく似ていて衝撃を受けたセリフを一つ紹介します。

 

 「戦う意義のない衛宮士郎はここで死ね。自分のためではなく、誰かのために戦うなどただの偽善だ。お前が望むものは勝利ではなく平和だろう?そんなもの、この世のどこにもありはしないというのにな。さらばだ、理想を抱いて溺死しろ!」

 

 自分の夢と理想を信じて英霊となり、すべてに絶望して過去の自分に投げかける言葉がとても重くて哀しくなります。

 

 理想を抱いて溺死しろ!

 

 私も過去に最も信頼していた友から同じようなことを言われたことがあります。ゆえにとても深くこの言葉が私の胸に突き刺さりました。

 「あなたのやっていることは偽善だ」「自己欺瞞だ」「自己満足だ」ほかにも色々言われて心がボッキリと折れてここ何年かは活動を休止し、自分自身から逃げ続けていました。

 確かにアーチャーや友人の言っていたことは合理的に考えればすべて正しかったのでしょう。さらにアーチャーは士郎にこういって詰め寄ります。

 

 「誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた。ゆえに自身からこぼれ落ちた気持ちなどない。これを偽善と言わずなんという?この身は誰かのためにならなければと強迫観念に突き動かされてきた。傲慢にも走り続けた。だが所詮は偽物だ!そんな偽善では何も救えない!いな、もとより何を救うべきかも定まらない。みろ、その結果がこれだ。はじめから救うすべを知らず、救うものを持たず、醜悪な正義の体現者がおまえのなれの果てと知れ!その理想は破綻している。自身より他人が大切だという考え。誰もが幸福であってほしい願いなど、空想のおとぎ話だ。そんな夢でしか生きられないのであれば、抱いたまま溺死しろ!

 

 士郎君も未来の自分から投げかけられる言葉がすべて正しいと認めます。そして、士郎君は私と同様地獄を見ています。私は今生と過去生で幾度も地獄を見ています。そしてアーチャーは言います。この先もその偽善に満ちた生き方では地獄しか待っていないと。そしてすべてを失うと。

 

 そこで士郎君は大切なことに気付きます。根底にあったのは願いであり、祈りであると。この地獄を覆してほしいという願い。誰かの力になりたかったのに、結局、何もかもとりこぼした男の果たされなかった願いだと。そして士郎君はその先の人生が偽善に満ちたものだったとしても正義の味方を張り続けるといって立ち上がります。他人に負けるのはいいが、自分自身には絶対に負けられないといって立ち上がります。

 

 私は数年前、完全に負けて今まで逃げていましたが、私も先月立ち上がりました。どんなに偽善に満ちていようと、私にも悲しみのない世界、飢餓や戦争、テロのない世界、みんなが笑顔で暮らせる世界という過去生から今生まで続く願いが、祈りがあるからです。私も士郎君と同様正義の味方を張り続けます。

 

 「手も足もまだ動く、負けていたのは俺の心だ!おまえを正しいと受け入れていた俺の心が弱かった。おまえの正しさは、ただ正しいだけのものだ!そんなもの俺はいらない!俺は正義の味方になる!おまえが俺を否定するように、俺も死力を尽くして、おまえという自分を打ち負かす!」

 

 そう言って士郎君は未来の自分であるアーチャーに最後の戦いを挑むのです。正義の味方!士郎君かっこいいですね。

 

 私は当時、手も足も動いたのに逃げちゃいましたけどね。ただ正しいだけの正しさに負け、自分自身に負けたのです。だけどもう大丈夫です。さらに強くなって帰ってきましたので私はもう挫けることはありません。

 士郎君曰く、「俺は正義の味方になりたいんじゃなくて、正義の味方になるんだよ!」ってやつですね。

 

 秘教的には多分、当時私は神々やマスターに試されてたのだと思います。あの時、私の意識内部では緊張点が発生し、戦って自分を乗り越えるか、逃げて遅延するかの二択だったのでしょう。このように人は試練によって試され、成長していくのです。もしくは遅延ですね。

 

 最後に士郎君とアーチャーが使う固有結界、無限の剣製(Unlimited Blade Works)を紹介してお別れです。とにかく呪文の詩が物悲しくてかっこいいんですよね。私の境遇と似てるし。

 そういえば私も神々からたくさんの霊的な神剣、宝具を拝領していますので、Real Unlimited Blade Works使えます。こういう所も士郎君と似てるんですよね~。

 

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