光 希望 優しさ 愛

新時代に必要なものは優しさや愛 皆さんにそれを伝えていければと思っています。

小事に忠なる者は大事においても忠なり

 今回は格言について少しお話したいと思います。

 まず取り上げるのは新約聖書ルカによる福音書1610節です。

 

 小事に忠なる者は大事においても忠なり

 小事に不忠なる者は大事においても不忠なり

 

 とてもシンプルな教えですが、私はこの教えはとても重要なものだと思っています。何故なら人間はこういったシンプルで簡単な教えを軽んじがちであり、すぐに忘れてしまう傾向があるからです。

 

 例えば誓いにしても、神にかけた誓いでも、子供達や友人知人とした誓いでも、自分自身の名誉にかけた誓いでも、どちらが重いとか重要とかそういうことは一切ないのです。大なり小なり自分が交わしたすべての誓いはすべて重要であり、すべてに忠実でなければいけないのです。

 

 約束もそうです。小さな子供達と交わした約束も、大統領や総理大臣、会長や社長との約束もすべて同価値であり、すべて誠心誠意、心を込めて果たさなければならないことなのです。しかし、大体普通の人はここで躓きます。

 

 今日子供との約束があったけど、総理との会食が入ったから子供は放っておこうとか、社長の接待があるから子供は放っておこう、となって一方を軽んじてしまい躓いてしまうのです。

 霊的観点からみればどちらも同価値にも関わらず、人は自分の利益と物事の優越をつけて失敗し、脱落していくのです。

 禅の言葉にこのようなものがあります。

 

 至道無難、唯嫌揀択

 

 至道とは難きことなし、ただ選り好みを嫌うといった意味です。そうです。至道とは、道とは、自分の利益や選り好みによって得られるものではなく、目の前にある一つ一つのことに誠心誠意取り組んでいき、全力でぶつかっていって初めて得られるものなのです。ゆえに私にとっては子供であろうが社長であろうが総理大臣であろうが大統領であろうが、どんな人との誓いも約束もすべて平等であり、いつも全力、全身全霊、我が誇りと名誉にかけていつも命懸けで事に当たっています。

 

 無論、漢に二言はありません。自分が言ったこと、誓ったこと、約束したことに対してはすべてに責任を持ち、毎回命懸けで我が誇りと名誉をかけて守っています。何故なら、自分が言ったこと、約束したこと、誓いを守れないくらいなら死んだほうがましだと本気で思っているからです。たとえ何の得にもならなくとも、不利益を被ろうとも、馬鹿だと罵られようとも、私にとっては我が誇り、名誉、高潔さ、信念を貫くことの方が大切だからです。そして、それこそが私の求める美しさ、美学だからです。

 

 みなさんも目に見える利益ばかり追い求めるのではなく、たまには精神的な美しさを追い求めてみてはいかがでしょうか?物欲や欲望は満たされませんが、心が豊かになりますよ。