光 希望 優しさ 愛

新時代に必要なものは優しさや愛 皆さんにそれを伝えていければと思っています。

輪廻する魂 1

 今回は輪廻転生についてお話したいと思います。まずお話を始める前に偉大な高僧、弘法大師空海の「秘蔵空論」の一説を紹介します。

 

三界の狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識らず

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで死の終りに冥し

 

 これは如実に輪廻転生を表した言葉です。そして、現代人のほとんどが陥っている状況でもあります。人間は何度も何度も生まれ変わります。そして、原因と結果の法則(カルマの法則)により、悪いことをすれば必ず今生や来世でカルマとなってはね返ってくるにもかかわらず、現代人は人生は今生限りで神も仏も因果応報も存在しないと信じ、金と物を神と崇めて己の欲望のままに享楽にふけり、破滅の道へとひた走っています。その様はまるで旧約聖書にあるソドムとゴモラの住人の如くです。

 

 「今日は大いに飲んでさわごう、明日死ぬかもしれないのだから」という非常に嘆かわしい状況です。

 みなさんに言っておきますが、聖書にもあるように、人はまいたものを必ず刈り取ることになります。「天網恢恢疎にして漏らさず」です。どのような悪事も見落とされることなく見事に跳ね返ってきます。今生跳ね返ってこない場合はカルマとなって来世で必ず跳ね返ってきます。なので日々の行いには十分気を付けましょう。

 

 その逆に、善行も良きカルマとなって確実に戻ってきます。ゆえにみなさん、率先して善を行いましょう。

 自己と他者は分離していて他人のように見えますが、究極の観点からみれば我々は本当は一つの大きな魂、霊、生命であり、他者は存在しないのです。だから他人にすることは結局自分にしていることと同じであり、全部自分に跳ね返ってきてしまうのです。

 

 我々人類は、鉱物、植物、動物、地球、惑星、宇宙すべてを含めて神の一部であり、神なのです。バカヴァッド・ギーターに曰く、「その中に生き、動き、存在するもの」であり、「私自身の断片を世界全体に遍在させ、私は変わることなく存在する」ものなのです。ゆえにキリストは「あなた方は神々である」「私と父とはひとつである」「私を信じるるものは、私が行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」といっているのです。

 

 ではなぜ我々は完全な神々の状態、至福の意識状態から今現在の不完全極まりない人間にわざわざ堕ちてきてしまったのでしょうか?

 完全な状態、光しかない世界では、何が完全で何が光なのかわからなかったからです。

 不完全な状態が存在しなければ完全さも理解できず、闇がなければ光の意味も理解できなかったからです。ゆえに神と呼ばれる意識存在はすべての状態を経験し、理解するために、自らの中で自らを分断して子供である我々の魂を創造し、波動や振動率を落として、我々の不完全な世界を創造しました。

 

 天の父は我々子供たちがすべてを経験し、すべてを理解し、それぞれが創造性と個性豊かな神々として回帰してくれることを願い、天の御国でいつまでも待ち続けているのです。例えるなら世に出て遊び呆けている放蕩息子が改心して戻ってくるのをいつまでも待ち続けている父親という感じでしょう。

 

 我々は自分自身を経験し、理解し、神としての創造性を取り戻すために何百回、何千回となく転生し続けるのです。

 

 輪廻転生の教えに関しては、キリスト教は例によって権力者達によって自分たちに都合のいいように改ざんされてまいすので、残念ながら消されています。神学とドグマで都合よく信者をがんじがらめにしています。

 

 まあ神学もドグマも時代遅れな感は否めないので、教育もいきわたり、霊的進化段階も上がってきた若者たちには到底許容も理解もできない非合理的な教えにしか見えないでしょうから、教条主義の伝統的キリスト教は今後どんどん廃れていくでしょう。まあすでに廃れてきてますしね。

 

 キリスト教の起源と本質はニカイヤ公会議以前にあり、原始キリスト教グノーシスエッセネ派と呼ばれたクムラン教団が本来の姿です。これらの原始キリスト教徒やクムラン教団は質素倹約を旨とする仏教徒のような修行者集団で、その教えの根底にはしっかりと輪廻転生の教えがありました。

 

 今のキリスト教と、イエス・キリストが教えた本来のキリスト教はまったくの別物ということです。それが証拠に、イエスも洗礼者ヨハネクムラン教団出身だと言われています。洗礼者ヨハネのあのぼろ布一枚の姿など、まさに仏教の修行僧そのものです。

 

 キリスト自身も現在の権力者に都合のいい、ドグマによって縛られたキリスト教のことを「ファリサイ派サドカイ派のパン種に気をつけなさい」「彼らは人間の教えを掟として教え、むなしく私を崇めている」「皿の周りは奇麗にするが、内側は汚れと穢れに満ちている」といって警鐘を鳴らしています。

 

 私は過去生でエッセネ派の祭司だった記憶があり、いろいろと覚えているのですが、クムラン教団は将来現れるであろう救世主、キリストを守り、育てるために設立された教団であり、キリストと洗礼者ヨハネを育て、世に輩出したのは間違いなくエッセネ派クムラン教団です。

 

 創設者はエリヤであり、当初はエリヤの教団と呼ばれていたのも間違いないでしょう。

 偉大なる予言者エリヤは将来、救世主キリストが到来することを自ら予言していますし、その救世主キリストが到来するための準備と受け皿としてクムラン教団を設立したのでしょう。聖書の中でも洗礼者ヨハネはエリヤの生まれ変わりだといわれていますので間違いありません。

 

 それに、当時はエッセネ派をはじめ、ヨルダン、イラン、エジプト、ギリシャなどの中東諸国には高位のイニシエートやマスターによって組織された秘教集団が存在し、秘教徒による光のネットワークが形成されていました。

 

 救世主キリスト到来と、十字架と復活というその生涯の計画は光のネットワークによるマスター達の庇護下にあり、エリヤの時代から綿密に計算され、推進されていた大計画だったのです。

 

 東方からきた占星学者の三賢者も光のネットワークにより計画をしっていたイニシエートかマスターであり、私の予想ではカルデア占星術師かヒンドゥー教バラモンだったのではないかと思っています。当時、秘教徒による光のネットワークはインド、中国まで張り巡らされていましたので。

 

 一時期、キリストがエジプトに逃れたのも、エッセネ派の光のネットワークにより、エジプトの同志である秘教徒に庇護を求め、エジプトの秘教徒のもとに逃れたのだと思います。

 当時はエジプトのルクソールが秘教徒やイニシエート、マスター達の一大拠点だったので、イエスはエジプトで修行を積んだはずです。

 

 少し長くなったので次回に続きます。