光 希望 優しさ 愛

新時代に必要なものは優しさや愛 皆さんにそれを伝えていければと思っています。

水瓶座の時代1

 今回は占星学のお話をしたいと思います。

 今の時代はオカルト、ニューエイジ、スピリチュアルの世界では「アクエリアス水瓶座)の時代」といわれています。アクエリアスは占星学や12星座のアクエリアスのことです。

 では、なぜアクエリアスの時代といわれているのでしょうか?それは春分点歳差運動により、年々春分点にずれが生じていて、今ちょうど春分点魚座から水瓶座に移行しつつあるからです。魚座のエネルギーから水瓶座のエネルギーにシフトしつつあるのです。

 

 春分点は西向きにずれていき、2150年かけて一星座を移動し、25800年かけて黄道十二宮を一周します。

 紀元前二世紀頃に春分点牡羊座0度にあり、キリストが生誕した西暦元年には魚座に移動しています。ゆえにキリストが生まれた西暦元年から2150年頃までは魚座の時代になり、実際に春分点は現在も魚座に位置しています。しかし、春分点は少しづつ水瓶座に近づきつつあるので、魚座から水瓶座へのエネルギー移行の過渡期であり、水瓶座のエネルギーの影響が非常に強くなってきているため、ニューエイジの間では水瓶座の時代といわれているのです。

 

 春分点魚座に移行したときに誕生したキリストとキリスト教魚座の時代の宗教であり、キリスト教のシンボルには魚座(♓)のマークが使われています。

 魚座の占星学の象意は、慈悲、憐れみ、感受性、共感、美や芸術になります。「神を愛せよ」「汝の隣人を愛せよ」「私が求めるのは憐れみであって生贄ではない」というキリストの教えと合致します。

 美と芸術に関しては、そのエネルギーはルネッサンス期に満開に開花したといえるでしょう。

 

 神智学ではすべての主要な事象は基本の3から7へと分化するといわれていて、七つの音階、七色の光、七柱のロゴス、七つのチャクラ、七つの光線論などがあります。

 七光線論によると、すべての星座や惑星にもそれを司る光線があり、魚座は第六光線を司っています。第六光線の象意は「献身と理想主義」になります。

 

 西暦元年から今までの時代を振り返ってみると、まさに世界の人々は自分たちの理想やイデオロギー、宗教のドグマを掲げ、それに命懸けで献身して争い続けてきました。今現在、各国の大統領や指導者も己の信じる理想や思想、宗教の名のもとにやりたい放題やっていますが、これは古い時代のエネルギー、魚座の時代のエネルギーの残照に突き動かされているにすぎず、水瓶座の時代に変わりつつある今ではやり方が古すぎて通用しないので、いずれ歴史の表舞台から消えていくでしょう。古い時代のエネルギーと、そのエネルギーに突き動かされ、旧態然とした組織や支配体制、既得権益を必死に保持しようとする旧タイプの人々の必死の抵抗に過ぎません。

 

 もし、彼らの政権が支持され、存続し続けた場合、世界経済の破綻、地球環境の破壊、資源の枯渇などを招き、世界大戦が勃発して人類は過去の過ちを繰り返すことになるでしょう。

 

 この春分点歳差運動によるエネルギーの推移は、聖書を秘教的観点から読み解いてみると、まことしやかにほのめかされていることに気付きます。

 

 旧約のモーセの時代は春分点牡羊座にあり、牡羊座の象意は「活動的、実行力、負けず嫌い、瞬発力、勇敢、独立的、ダイナミック」であり、エジプトで奴隷になっていたユダヤ民族をその行動力で見事独立に導き、先頭に立って指導し続けたモーセの人物像と、積極的な十戒の教えそのものです。

 

 そして面白いことに、モーセシナイ山で新しい教えである十戒を授かり、山から下りてくると民達は堕落していて古い教えに戻ってしまうくだりがあるのですが、ここで民達が崇めていたのは金の子牛の像でした。そうです、牡羊座の前の時代に春分点があったのは牡牛座です。金の子牛の像を崇める民達は、古い宗教性と時代遅れの牡牛座のエネルギーを象徴しているのです。ゆえにモーセは古い教えに戻り、しがみつこうとしている民達を叱ったのです。古い教えと古い宗教性では新しい時代のエネルギーには対応できないからです。そしてそれは、今現在にもいえることです。

 

 キリストが自身のことを「私はよき羊飼い」といっていることも興味深いですね。彼は牡羊座の時代を生きてきた民達を魚座の時代に導くということを例えをもって話されたのです。

 少し文章が長くなったので、今回はここまでにしておきます。続く……

 

 下に、私が2013年の年越しで訪れたシナイ山山頂でのご来光の写真を載せておきます。

 当時は年明けのご来光だったので、山頂にはキリスト教ユダヤ教イスラム教の信者達も来ていて、ご来光と同時に新年を祝う聖歌を歌っていました。それは神秘的で神聖で非常に美しいご来光の光景でした。多分、聖霊や天使達も祝福してくていたのでしょう。

 私が今まで生きてきた中で最も美しい光景でした。

 花火などもきれいですが、大自然と神々の作り出す光景には比べるべくもありません。

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